「エネルギー・地層処分について考える市民の会」活動報告

 このページでは、2017年度の「市民の会」の活動内容を紹介していきます。

2017年7月11日 六ケ所村読書愛好会との意見交換会


 2017年7月11日に、六ケ所村読書愛好会の方々と、日本原燃の誘致前後の六ケ所村の様子や、地層処分に対する考えなどについて、意見交換を行いました。
 六ケ所村で長年生活をされてきた方の、実感の伴ったお話をお聞きすることができました。この場をお借りして、読書愛好会の皆様に御礼申し上げたいと思います。お忙しい中にご協力いただき、また、貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

日本原燃が誘致される前
  • 50年前の六ケ所村は大変な僻地だった。役場の周りや泊地区の産業は漁業のみ。やませがあるため、農作物も取れない土地だった。当時は、近隣にあるむつ市よりも、30年は遅れている地域のように感じていた。
  • 村内のまともな道路は国道338号線しかなかった上、未舗装で細かい石が敷いてあるだけの区間もあった。
  • まともな道路がないので、子供が村外の高校に通うことが困難だった(六ケ所村に高校ができたのは、昭和53年になってから)。子供たちがイカ漁に駆り出され、夜通し手伝いをしたため、日中学校でまともに勉強ができない、という状況もよく見られていた。
  • その頃の親世代は、自分たちが苦しくても、子供たちにしっかりした教育を受けさせなければ、結局貧しさの再生産になってしまう、という思いを持った人が多かった。自分たちの世代で何とか貧しさから抜け出したいという思いから、父親が出稼ぎに出て子供を高校に通わせるという家庭も多かった。
  • 冬は、吹雪の中、父親は出稼ぎに出ていて家庭におらず、家を守る女性や子供は寂しい思いで暮らしていた。
  • 当時の村長は、このような六ケ所村の「貧しい」状況を何とかしたいという強い思いを持っていた。

日本原燃誘致前後の動き
  • 昭和50年頃、日本原燃を六ケ所村に誘致したいという話が持ち上がった。
  • 貧しい状況から何とか抜け出したいと思っていた人たちは、賛成側の立場に立った。一方、当時は村民も無知で、様々な風評が立ち、女性団体が反対を表明したり、中央から反対活動をする団体が六ケ所村に入ったりして、議論が巻き起こった。
  • 当時の村長の「地域の教育水準を上げたい」「雇用を増やしたい」という思いは強く、日本原燃は正式に誘致されることになった。
  • その後も地域の中で意見の対立があったが、雇用が増え、生活が安定してくると、地域住民の意見も少しずつ変わって(落ち着いて)いった。
  • 日本原燃の社員は、辛抱強く、真摯に、住民の説得に回っていた。特に漁師などは社員に対する風当たりが強かったが、徐々に態度を軟化させていった。辛い対話活動を続けた日本原燃の方には頭が下がる。
  • 誘致・建設当時の激しい意見の対立が落ち着くまでには、10~20年ほど時間がかかった。

読書愛好会と環境科学技術研究所の協力関係
  • 環境科学技術研究所は、六ケ所村の地域のための研究所である。研究所設立直後、近隣地域の小中学校に研究所が設立された旨をPRし、活用を呼びかけたが、ちょうど週休2日が導入され始めた時期でもあり、学校側にはカリキュラムの余裕がなかった。そこで、地域のキーパーソンである二本柳春子氏に協力を仰ぐことにした。その結果、女性団体を通じて村に正しい地域を広めるという活動を進めることができるようになった。
  • ちょうどその頃に文化交流プラザ「スワニー」もでき、読書愛好会も設立された(当時の代表は二本柳氏)。村役場から、「環境科学技術研究所には、読書愛好会に正しい知識を与え、助けてほしい」との依頼もあり、協力関係を結ぶことになった。
  • こうして、読書愛好会は放射線や原子力のことを学ぶ会として育ってきた。
  • 事業者である日本原燃の説明を聞く機会も多々あるが、彼らの説明は、やはり「事業者の説明」である。環境科学技術研究所と協力関係を結んだことで、市民の立場で学ぶ機会を得られたことはとても貴重だった。

東日本大震災の影響
  • 日本大震災後、このまま原子力が駄目になってしまってはいけないとの思いから、付き合いのあるあすかエネルギーフォーラムの協力を得て、東京にて対話集会を開催した。東京で電気をたくさん使っている人たちに、「六ケ所村にも人が住んでいるということを分かってもらいたい」という強い思いがあった。
  • 「六ケ所村はお金がないから原子力施設を誘致したのだろう」という意見を聞くこともあるが、私は、それには真正面から「その通りだ」と答える。「原子力施設があったら、自然が壊されるのではないか」という意見もあると思うが、お金がなければ自然も守れない。
  • 私個人としては、福島の被災された方々を心配する思いが強い。六ケ所村については、日本原燃はしっかり対策されているし、特に事故も起きていないため、安全だとは言い切れないが、ある程度安心して暮らしている。

日本原燃に対する思い
  • 六ケ所村が大変な思いをして日本原燃を誘致してきたという経緯を知っている身としては、日本原燃に対し厳しい意見も言うが、村民として協力したいとも思っている。また、日本原燃の社員も、地域の行事に積極的に参加してくださっている。お互いに支え合いたいと思っている。
  • 日本原燃は、ガラス固化体作成に何度も失敗した。我々住民は、「なぜできないのか。もっと早く成功してほしい」と何度も叱咤激励した。日本原燃は、その度に、「我々も一生懸命取り組んでいます」と回答し、実際に一生懸命取り組んでいた。だからガラス固化が成功したときはとても感動した。
  • 日本原燃が来たことで、経済的な活性化だけでなく、今回の交流会のように様々な地域から様々な方が来て、人と人の交流ができるようになった。
  • 私は六ケ所村生まれだが、むつ小川原工業基地からはやや離れた地区に暮らしている。国家備蓄基地が誘致された際は、今後は石油関連の事業が増えるのだろうか、などと感じていた。その後、日本原燃が誘致された際も、賛成・反対ではなく、自然な流れとして受け入れていた。その後、読書愛好会に入会し、多くのことを学ぶ機会を得られたことは幸いだった。

将来について
  • 青森県は現在、日本原燃の敷地内に、原子力人材育成のための「量子科学センター」を建設している。サイクロトロン施設などが建てられ、ゆくゆくは重粒子線治療まで進めることができれば、と計画されている。ITERの設備の一部も日本原燃の敷地内にある。
  • 研究設備や、それを扱う人の層も徐々に厚くなってきていると感じている。


7月2日 六ケ所視察の事前勉強会
7月10日 日本原燃株式会社の見学
7月11日 六ケ所村読書愛好会との意見交換会
7月18日・8月1日 六ケ所村視察の共有会
8月21日・22日 福島県次世代エネルギーパーク視察
11月3日 幌延視察の事前勉強会
11月16日 幌延町視察(町役場の方との意見交換)
11月16日 幌延深地層研究センター視察)
12月26日 最終意見交換会


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