「エネルギー・地層処分について考える市民の会」活動報告

 このページでは、2017年度の「市民の会」の活動内容を紹介していきます。

11月3日 幌延視察の事前勉強会


 「市民の会」は、2017年11月16日に、北海道幌延町に視察に行くことになりました。
 前回の勉強会から少し間が空いたので、改めて勉強会を開催することにしました。前回同様、専門家講師の木村浩氏(NPO法人パブリック・アウトリーチ)をお招きし、今回は特に地層処分を中心に詳しくご説明いただきました。

地層処分について
 放射性廃棄物とは、放射性物質を含む廃棄物のこと。ただし、ここで扱うのは「事業から出た」放射性廃棄物。放射性廃棄物にはグレードがあり、ガラス固化体は高レベル放射性廃棄物、それ以外の廃棄物は低レベル放射性廃棄物と呼ばれる。低レベル放射性廃棄物は様々なものがあり、放射能の強度もそれぞれ異なる。


 ウラン鉱山から取り出されたウランは燃料に加工され、原子力発電所で燃やされる。燃やした後の燃料(使用済み燃料)を再処理し、まだ使えるウラン・プルトニウムは取り出し、再び燃料にする。それ以外の放射性廃棄物はガラス固化体(高レベル放射性廃棄物)となり、貯蔵施設で空冷保管されている。ガラス固化体は、最終的には地層処分される計画となっている。
 地層処分とは、放射性廃棄物の処分方法のひとつで、地中に廃棄物を埋める方法である。放射能の高い廃棄物は地下深く、それほど高くない廃棄物は浅めに埋めることになっている。
 高レベル放射性廃棄物は、放射性物質のかたまりである(ただし、ウラン・プルトニウムは取り除かれている)。強い放射能を持っており(つまり強い放射線を出す)、できた直後の表面温度は200℃以上である。できた後、30~50年は冷却(空冷)保管されている。(@六ヶ所村)


 地層処分では、ガラス固化体をオーバーパック(鉄製の容器)で覆い、さらにその外側をベントナイト(粘土)で覆い、地中深く(300メートル以深)に埋めていく。できた直後のガラス固化体の温度は200℃以上であり、このままではベントナイトに悪影響を与えてしまうため、30~50年かけて80℃程度まで冷ましてから地中に埋めることになる。


 高レベル放射性廃棄物の放射能のレベルが、天然ウラン鉱石と同程度まで下がるには、数万年かかると言われている。
 地層処分は、廃棄物処分の2つのアプローチ、「隔離」と「希釈分散」を組み合わせた方法であるといえる。最初の1000年間は、オーバーパック・ベントナイトの人工バリアで、放射性物質を「隔離」する。その後、人工バリアが徐々に破れ、放射性物質が地下水に溶けたとしても、それが地表に出てくるまでには長い時間がかかる上、十分に「希釈分散」されるため、放射能は人体に影響がないレベルまで下がると考えられている。
 地層処分以外にも、海洋底処分、氷床処分、宇宙処分などの方法が検討されてきたが、いずれも、技術的・制度的な制限がある。地層処分は、現存する技術で実現可能なこと、制度的な制約がないことが利点である。


 地層処分事業は、国からの申し入れ・市町村からの応募を受け、文献調査、概要調査、精密調査の3段階を経て立地地点を決め、建設・操業へ移っていく。応募の段階から、高レベル放射性廃棄物を全て埋め処分場を閉鎖するまでには、約100年かかるといわれている。
 2017年8月には、「科学的特性マップ」が公表された。これは、日本全国を俯瞰した地図で、科学的に最終処分場に不適な土地(火山がある、地下資源がある等)を除くことを目的に作成された。資源エネルギー庁は、このマップが市民による議論のきっかけになることを期待している。

幌延町について
 幌延町では、町役場の方との意見交換も予定されています。よりよい意見交換のために、幌延町の概要や、深地層研究センターが誘致された経緯などを学びました。

 幌延町は、北海道宗谷地方にある町。面積は約574平方キロメートル、人口は2411人(2017年3月時点)。主な産業は酪農(牛、トナカイ)。
 平成28年度の歳入は約49億円。そのうち、町民税は約2億円、固定資産税は約5億円。三法交付金は、毎年2~2.5億円交付されている。
 三法交付金の使途は、診療所や病院の人件費(約1億円)、保育所の人件費(約2000万円)、教育支援費(200~4000万円)、広報調査費(他県の原子力施設への見学会など・小中学生を含む・600~700万円)など。
 人口は、1960年には7400人ほどだったが、その後減少している。特に、若年層(0~15歳)の割合が低下している。

 1981年、幌延町議会は、原子力関連施設の誘致を決定した。翌82年には、低レベル放射性廃棄物貯蔵施設の誘致も表明している(1984年に六ケ所村に決定し、頓挫)。
 1983年、北海道では、社会党を支持基盤とする横路知事が初当選。横路知事は、84年に、幌延町の原子力関連施設誘致に反対の意思を表明する(道議会は自民党多数で、誘致に賛成というねじれ現象が起きていた)。道内の各団体も反対運動を展開していった。
 1986年の幌延町長選で上山氏が当選。氏は、「地域振興に結び付かなかったり、道庁などが代わりの振興策を示せば、誘致の撤回もあり得る」との姿勢を示した。87年の地方統一選挙で、横路知事が再選。道議会は自民党が過半数割れとなった。1990年には道議会が誘致反対の議決をし、科技庁・動燃に対し、計画の白紙撤回を申し入れている。
 国は、これらの動きを受け、1992年に、「研究開発」と「処分場の建設」を明確に分離する方針を打ち出した。
 1995年、非自民推薦の堀氏は、「幌延計画は白紙に戻すことを国に求める。改めて、国から核抜きの研究開発施設計画の提示があれば、道民の同意を得ることを前提に検討を進める」ことを公約にし、知事に当選。
 1998年、科技庁は、北海道からの「貯蔵工学センター(核ありの施設)を白紙に戻したものか」との照会に対し、「事実上白紙に戻したものである」と回答。
 1998年10月、動燃はサイクル機構に改組し、サイクル機構は幌延町と北海道に「深地層研究所(仮称)計画」を申し入れる。
 1998年11月、堀知事は、サイクル機構の申し入れを返上し、「核抜き」文書の提出を要求する。幌延町の上山町長も、「核抜き」施設の誘致へと転換し、その後の町長選で4選を果たす。
 その後、サイクル機構は、北海道と幌延町に対し、「幌延町への放射性廃棄物中間貯蔵施設の立地は将来ともない」と説明。
 2000年5月、幌延町議会は、「深地層の研究の推進に関する条例」を可決。「研究の期間中および終了後において、町内に放射性廃棄物の持ち込みは認めないものとする」との条文が盛り込まれている。
 2000年10月、道議会は「北海道における特定放射性廃棄物に関する条例」を可決。「特定放射性廃棄物の持込みは慎重に対処すべきであり、受け入れ難いことを宣言する」との条文が盛り込まれている。
 2000年11月、北海道・幌延町・サイクル機構は、「幌延町における深地層の研究に関する協定書」を締結する。協定書には、「核抜き」の研究施設であることが明記されている。
 2001年4月、「幌延深地層研究センター」が開所。2003年7月から地下研究施設の工事が着工している。


▲講師の木村浩氏による講演の様子


7月2日 六ケ所視察の事前勉強会
7月10日 日本原燃株式会社の見学
7月11日 六ケ所村読書愛好会との意見交換会
7月18日・8月1日 六ケ所村視察の共有会
8月21日・22日 福島県次世代エネルギーパーク視察
11月3日 幌延視察の事前勉強会
11月16日 幌延町視察(町役場の方との意見交換)
11月16日 幌延深地層研究センター視察)
12月26日 最終意見交換会


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